小野末三著『新稿 羽州最上家旧家臣たちの系譜ー再仕官への道程ー』に、齋藤伯耆の子孫を名のる人物が、載っている。
最上義光の四男で山辺城主「山野邉光茂」の「城代家老」だったそうだ。
最上義光歴史観のボランティアガイドの人から「城代家老となると、最上家の分限帳に載っているのでは」と、アドバイスをいただいた。
最上義光分限帳は「山形市史 資料編1 最上氏関係史料」の載っている。
早速、県立図書館から取り寄せて調べてみた。
「山形市史 資料編1 最上氏関係史料」には
・最上義光分限帳 東大史料編纂所影写本
・最上源五郎様御時代御家中并寺社方在町分限帳 国立史料館所蔵「宝幢寺文書」
・最上家中分限帳 山形市厩豊氏所蔵
の三種の分限帳が載っている。
一つ一つ、分限帳に載っている人物をおっていったが、残念ながら「齋藤伯耆」「齋藤市郎右衛門」のどちらの記載も見つけられなかった。
しかし、一つ気になる記載を見つけた。
「最上源五郎様御時代御家中并寺社方在町分限帳」
に「二百十四石 谷地隠居」という記載があった。
214石が、当時としてはどれほどの年収になるのか、正直、分からない。
山野辺家が1万9千300石(最上義光歴史館 最上家をめぐる人々14)
その城代家老として214石。
可能性はないのだろうか。
素直に「谷地」にすむ「隠居」している人物ととらえても良いのだろうか。
しかし、「隠居」にこの石高を与えるということはどういう事なのであろうか。
さらなる史料が見つかることを望んでいる。
山形市史 資料編1 最上氏関係史料
小野末三,『新稿 羽州最上家旧家臣たちの系譜ー再仕官への道程ー』,財団法人最上義光歴史館,平成10年3月,169頁
神永敏子,『幕末水戸藩士の眠る丘』,風濤社,1997年11月,83頁
参考URL
最上義光歴史館 最上家をめぐる人々14
http://samidare.jp/yoshiaki/note?p=log&lid=125693
facebook 最上義光プロジェクト 2013年12月29日
https://www.facebook.com/yoshiakiproject/posts/672817592769121?stream_ref=10