家紋の謎
河北町誌編纂委員長の槇清哉氏によると、白鳥氏の定紋は九曜星と丸二引とのことである。
「『地域史研究覚書』 1999年 P29」
東林寺の山門をくぐるとすぐ右手に、白鳥十郎公の供養の碑があり、その台座には「丸に二引き両」紋が刻まれている。
東林寺に安置されている白鳥氏の位牌にも、「丸に二引き両」が描かれている。
白鳥氏の菩提寺の東林寺の紋も「丸に二引き両」。
住職に寺の紋の由来を尋ねると、白鳥氏の紋に起因しているという。
谷地城の鬼門に建立されたとされ、谷地城の石垣を残すという三社宮の紋章も「丸に二引き両」である。
白鳥氏の紋は「丸に二引き両」
ここで、ある疑問が浮かび上がる。
もし、白鳥の紋が別であれば、何も疑問はないのだが、「丸に二引き両」は最上氏の紋でもあり、白鳥氏、最上氏が同じ紋だったということになる。
「丸に二引き両」は足利系の源氏の紋として有名である。
最上氏は、清和源氏、足利氏の一族、斯波氏を祖とする家柄である。
最上氏は奥州管領、斯波家兼の子、斯波兼頼が山形に入部し、のちに「最上」を名乗ったことにはじまる。
つまり、最上氏は足利源氏直系で、「丸に二引き両」を用いることは当然である。
なぜ、白鳥氏も「丸に二引き両」なのか。
白鳥氏は、最上氏の同族、という資料はない。
白鳥氏は、
・平泉の安倍一族の末裔という説
・平城天皇の第一子、阿保親王を祖とする説(茂木家所蔵系図)
・白鳥地区の土豪とする国人とする説
などがあり、現実としてはっきりしていない。
しかし、どの説をとっても、最上家のように足利源氏につながるものではない。
なぜ、白鳥氏および白鳥氏関連の寺社が「丸に二引き両」なのか、大変に興味深いことではあるが、いわれを明記する資料は見つかっていない。
最上義光は同族には冷徹であった、とされる。
事実、避けられない理由があったからにしろ、弟を殺し、子供を殺している。
宿敵で、義光によって潰された天童氏も同族である。
最上・白鳥が同じ丸に二引き両を使うことから、白鳥十郎を他に例を見ない方法で誅殺したのは、実は白鳥氏は最上の同族だったから、などと、根拠のない考えが脳裏をかすめてしまった。
根拠のない考えといえば、谷地城の跡とされる三社宮を参拝し、屋根などに刻まれていた丸に二引き両をながめていて、こんなとっぴょうししもないことが頭に浮かんできた。
白鳥氏の紋は「丸に二引き両」と同じ形をしているが、実は丸に二引き両ではなく、「白」の一文字をデザイン化したものではないだろうか、と。
全体を丸くし、白の字の第一画を伸ばしたものではないだろうか。
まさか、この考えが事実とは思えないが、もし、そうだとしたら、白鳥一族はかなりユーモアのセンスがあったのではないだろうか、などと、一人、三社宮の前で苦笑してしまった。
参考まで根際齋藤氏の紋は「丸に梅鉢」、松沢齋藤氏の紋は松沢齋藤氏のご子孫に伺ったら、「上り藤」だそうだ。