谷地城主「白鳥十郎」。
地元にとっては有名な人ですが、よく、間違って読まれることがあります。
問題は「白鳥」。
さすがに「ハクチョウ」と読む人はいないようですが、多くの人がなぜか「しらとり」と読んでしまいます。
なぜ、しらとり、ではないのか。
それは、彼の出身地を考えてみれば一目瞭然です。
白鳥十郎は谷地城に入城する前は現在の村山市「白鳥」地区にある「白鳥城」におりました。
村山市白鳥。
平仮名で書くと「むらやまし しろとり」。
白鳥氏はこの地を治めていた豪族です。
したがって、白鳥を「しろとり」と読むのが妥当ではないでしょうか。
昭和37年3月に河北町が発行した『河北町の歴史 上巻』の160ページによると、最上家の菩提所である滋賀県八日市市八日市(現 東近江市)の妙応寺の最上家ノ過去帳を見ると最上氏歴代の戒名にまじって、
「泰運院殿覚性円明大居士 城取重郎」
「実相院殿円成了頓大居士 白鳥重郎」
という記載があるのだそうです。
この二人は一体、誰なのか。
もし白鳥氏のものであるとしたら、この霊を祀り、その冥福を祈ったのは誰なのか。
また、なぜ最上家の過去帳に白鳥の記載があるのか。
残念ながら『河北町の歴史 上巻』でも、断定するにいたっていません。
最初の人物の名前が「城取」と記載されていることに、注目してください。
これは「白鳥」の誤記ではないでしょうか。
とすればやはり「白鳥」は「しろとり」とよばれていたということになります。
現在、河北町には白鳥宗家の直系という方は住んでおりません。
また、昔から白鳥を名のっている家もありません。
電話帳を見る限り、村山市白鳥地区にもいないようです。
もし、この姓が現存していれば、間違った呼び方が流布することもなかったのでしょう。
せめて、十郎公が築いた谷地城やその近隣にすむ人は十郎公のことを正しい名で「しろとりじゅうろう」とよんで欲しいと思います。