伯耆守に「観音堂(追記)」を加えました。
私が考えていたよりも、観音堂は地域の人の支えにもなっていたようです。
*その後の調査で、観音堂(追記)の記載に誤りがあったことがわかりました。観音堂(追記)は内容を修正して、「谷地三十三観音の根際観音」として公開しております。
コメントをお書きください
孫次郎 (金曜日, 03 2月 2012 12:37)
初めまして。齋藤伯耆守・市郎右衛門の事を調査しておりました所、貴HPに辿りつきましてその内容に大変驚いています。 私は直系ではないのですが、先祖の家の一つで有る齋藤家の由緒来歴を調べておりまして、先年、谷地町郷土研究叢書に堀籠一眞「谷地町に於ける姓氏」を得、その中に齋藤伯耆守・市郎右衛門の子が三流に分かれ根際・谷地・松澤に住み子孫がいると云う記事を見つけ、初代である齋藤伯耆守・市郎右衛門の事や子孫について何かしら知る方法は無いかと探しておりました。 私の先祖は松澤の齋藤家に当たりますが、伝承は殆ど失われている様で、戦国時代家老をしていたと云う事位しか伝えられておりません。 齋藤伯耆守・市郎右衛門の事やその御子孫について今少し詳しく御教示戴くことは出来ませんでしょうか?
齋藤伯耆守大学の子孫 (土曜日, 04 2月 2012 11:12)
コメントありがとうございます。 松澤の齋藤家が谷地とつながりがあることは、誰からともなく耳にしていました。 興味はあったものの、松澤と谷地とのつながりは調べられずにおりました。 なぜ、最上川をわたって、松澤に居をかまえたのか、私の疑問の一つでもあります。 私の祖先の伯耆守も家老と聞いてはいましたが、天正最上軍記などに家臣団には名前がでてこない。 このあたりも疑問ではあります。 「御教示」など、身に余ること。 私もHPに載せたこと以上は、なかなか調べきれずにおります。 谷地町郷土研究叢書・「谷地町に於ける姓氏」・堀籠一眞 は、目を通していなかった資料でした。 こちらこそ情報、ありがとうございます。 こうして知り合えたのも「縁」。 こちらこそよろしくお願いします。 なにか新しいことがわかりましたら、HPにアップします。 なお、こちらのサイトは無料のHPスペースをお借りして運営しております。 ゆくゆくはこちらのサイトに移行しようと思っていますので、よろしかったらこちらものぞいてみてください。 http://www.nishizato.net/ 今のところ、内容は同じです。
コメントをお書きください
孫次郎 (金曜日, 03 2月 2012 12:37)
初めまして。齋藤伯耆守・市郎右衛門の事を調査しておりました所、貴HPに辿りつきましてその内容に大変驚いています。
私は直系ではないのですが、先祖の家の一つで有る齋藤家の由緒来歴を調べておりまして、先年、谷地町郷土研究叢書に堀籠一眞「谷地町に於ける姓氏」を得、その中に齋藤伯耆守・市郎右衛門の子が三流に分かれ根際・谷地・松澤に住み子孫がいると云う記事を見つけ、初代である齋藤伯耆守・市郎右衛門の事や子孫について何かしら知る方法は無いかと探しておりました。
私の先祖は松澤の齋藤家に当たりますが、伝承は殆ど失われている様で、戦国時代家老をしていたと云う事位しか伝えられておりません。
齋藤伯耆守・市郎右衛門の事やその御子孫について今少し詳しく御教示戴くことは出来ませんでしょうか?
齋藤伯耆守大学の子孫 (土曜日, 04 2月 2012 11:12)
コメントありがとうございます。
松澤の齋藤家が谷地とつながりがあることは、誰からともなく耳にしていました。
興味はあったものの、松澤と谷地とのつながりは調べられずにおりました。
なぜ、最上川をわたって、松澤に居をかまえたのか、私の疑問の一つでもあります。
私の祖先の伯耆守も家老と聞いてはいましたが、天正最上軍記などに家臣団には名前がでてこない。
このあたりも疑問ではあります。
「御教示」など、身に余ること。
私もHPに載せたこと以上は、なかなか調べきれずにおります。
谷地町郷土研究叢書・「谷地町に於ける姓氏」・堀籠一眞
は、目を通していなかった資料でした。
こちらこそ情報、ありがとうございます。
こうして知り合えたのも「縁」。
こちらこそよろしくお願いします。
なにか新しいことがわかりましたら、HPにアップします。
なお、こちらのサイトは無料のHPスペースをお借りして運営しております。
ゆくゆくはこちらのサイトに移行しようと思っていますので、よろしかったらこちらものぞいてみてください。
http://www.nishizato.net/
今のところ、内容は同じです。